21世紀をリードする無名の職人(繊研新聞)

1998.09.09

繊研新聞 1998年9月9日
三島彰のファッションと縲怩ュ
MOMAの事業
11月26日に始まるニューヨーク近代美術館の「日本テキスタイルデザイン展」は、イタリアでもフランスでもなく、世界最強のわが国テクノロジーをベースにする。日本産地の無名の職人仕事こそ、21世紀の世界をリードするものと確信しているのだ。
そこにピックアップされる大半は、東京・テキスタイル展で私が取り上げてきたものなのだが、そのハイライトの一つだった象皮風クロスは、このカタログ装紙に採用されている。福井・今立の山崎ビロードと鯖江ウラセの合作によるこの世界初のテキスタイルは、最近青山骨董通りに新設されたブティックのスーツに見ることができる。


ハラハラの連続(繊研新聞)

1998.01.19

繊研新聞 1998年1月19日
何ができるか最後まで分からない。でき上がるまでハラハラの連続です
「滝の布」で繊研新聞社賞を受賞した山崎昌ニさん


山崎ビロードのベルベットマジック ロマンティック素材最前線(3)

1997.08.22

gap JAPAN 1997 7・8合併号
現代ベルベット創造の旅
 わが国の衣料用ベルベットの9割を生産する鯖江、今立は、福井県中部武生盆地のなかにある。鯖江市は真宗誠照寺の門前町から興った6万都市で、現在は繊維工業の他に、眼鏡枠の生産では全国の8割を占め、越前漆器の産地でもある。一方、今立は、人口1万5千に過ぎない静かな町だが、中世以来の越前和紙の産地であり、繊維については、ベルベットの他に、堀留の木馬を通してパリに販売拠点を築き、ヨーロッパリボン伝統を支えている細幅織物、それに羽二重を加え、いずれも日本屈折の産地。ついでに加えれば当地の越前蕎麦は、知る人ぞ知る天下の逸品。さりげないこの町に、どうしてこれだけの中身が詰まっているのか、考えさせられてしまう。
 この今立、鯖江を日本を代表するベルベット産地に育てた先駆者は揚原新十郎と長谷川幸助。それぞれ揚原と長谷川繊維工業の創立者であり、ここでも杣長は指導育成に貢献している。パイオニアの一人揚原は鯖江に拠点を築き旭化成のバックアップのもとに自社オリジナルの装置を満載して、仕上げに至る一貫工程を整え、ベルベット全デザイナーを揃えて、「世界の揚原」としての貫禄を示している。これに対して、これまた杣長を師匠にして育った今立の山崎ビロードは、そのスケールも扱い品種も小さいが、現代ベルベットの推進力として、今、ファッション界の注目を集めている。
 山崎が突如ハイライトを浴びたきっかけは、ベルベットに特化するという当地ならではの業態の産元問屋、西出商事が、コム・デ・ギャルソンの素材開発を一手に賄う織物研究舎の松下弘を案内してきたことに始まる。川久保・松下ラインの構想は、玉虫のように妖しく発色するシャンブレー・ベルベットの実現にあった。このためには、染色性の異なる基布のポリエステルとパイルのレーヨンを異なった染料に2度くぐらせることによって染め分けるという二浴染により、パイルと基布の色が交錯する玉虫効果を作り出すのだが、基布とパイルの色が反応するために、パイル長を0.8ミリに押さえることが必要だという。たとえば現在の揚原の品揃えが1.5縲鰀1.7ミリであるように、ある程度パイルが長い方がベルベットの味になる。そして、極端に短いパイルを安定的に織ることは、当時の技術では極めて困難なことだった。織った後のパイルをシャーリングで刈ればかなり短くなるが、それも当時では1.5ミリが限度だった。それを山崎ならできるというのが案内した西出の計算で、社長の山崎昌二もやるっきゃないと腹を決めた。頼まれもしないのに一人工場へ行き、サンプルを作ってきた社長夫人の在り方を見て、松下もここならやれると決断した。恐らくは不良反の山を築いただろうが、繊研が「8004番」と命名した超短パイルベルベットは見事に仕上がり、90,91年秋冬パリコレクションを衝撃のデビューで飾った。どうしてもパイルにむらがでたが、崩れようとして危うくバランスする妖しさは、コム・デ・ギャルソンの美学に1頁を加えることになり、8004番はコムデの作品の他にも織物として欧米で売られ、ジャパン・テキステイルの名声を高めた。
 これが軽量薄手ベルベットのスタートラインになり、山崎は相継いでこの現代ベルベットの多様なラインを展開していく。その一つが山崎オパール加工用に開発した、「1200番」と命名する1.1ミリパイルだった。オパール加工とは、ポリエステルとレーヨン、コットンなどのセルロース系繊維との交織織物の、セルロースの部分をバーンアウト、すなわち焼き取り、透明効果を生み出す技法で、これまでもベルベットで行われてきたものだが、薄手に適用することによって、これまでにない独特の味が生まれた。さらにこの加工を通じて滋賀県石部の樹脂プリントメーカー、木村染工と同盟関係が結ばれ、これに六本木「布」須藤玲子のデザイン力が加わるという、現代ベルベット開発の三角形が構成されることになった。
 このオパール加工を縮緬の基布に施すことによって、ウズラの卵を思わせるデザインにまとめた三男祐三の「うずら縮緬」は、尾州のジャパン・テキスタイルコンテストで受賞し、オパールベルベットの新生面を切り開いた。長男で専務の宏樹も黙ってはいない。越前和紙のたたずまいをベルベットで表現する彼の和紙ベルベットは、続くジャパンコンテストのグランプリに輝き、長男の意地をみせるとともに、山崎の名声を一層高めることになった。この和紙ベルベットは、和紙の雰囲気をだすためにパイルは1.5ミリのやや長めに対して、基布が著しく細い糸使いで薄く繊密に織られているのが特徴的で、これが山崎新路線に繋がった。たとえば有松の鈴三に加工を依頼した絞りベルベットは、その展開の一つである。
 この他、プリーツ加工、むら染、レーヨンラメの使用から、ステンレス線を織り込むことによって、ベルベットに高度の造型性をもたらす試みまで、そのラインアップは豪華な広がりを実現していく。
 このなかで特に重要なのは、これを契機に生まれた鯖江のウラセとの連携である。ウラセは創業大正7年と、北陸産地勃興とともに生い立った、オールラウンドの中堅繊維メーカーだが、その一般的な技術力の他に、販売本部で技術開発の先頭に立つ主任研究員、松山繁美の特異な発想が注目せれていた。三井物産系の大手発型コンバーター、ミスファブリックにあって、特にハードなスーツ地の開発で聞こえる鬼沢辰夫は、前々から菊池武夫などを案内してここに通っていた。その鬼沢の作風の影響もあってか松山の仕事には、シャープでハードなフィーリングをたたえたものがあり、山崎はその特異な開発力に未だかってないベルベットの新表情を託した。加工を依頼した和紙ベルベットのパイルは5ミリから7ミリと長く、そこに加えられるウラセの技術は、そのパイルを、あるいは象皮のように、あるいはコンクリートのように変質させてしまう。そこでは、ベルベットの浪漫を支えるパイルが、まったく異質なもう一つに歌を歌い始め、そこから山崎のもう一つの顔が見えてきた。こうしてウラセは木村染工と並んで、山崎の欠くことのできない同盟者になった。
 その一方で、厚地をめざす新路線も発動している。その一つがパイルを5ミリと長くしてレーヨンの感触を引き出し、それを通常の釣り染ではなく、桶に浸して回転させながら染める鶯染で加工すると、チンチラの感触をもったロマンティシズムが歌い出す。さらにこの厚手路線から、袋織というニューアイデアが飛び出してきた。前述したようにベルベットは二重織してからそれを2枚に開くことによって生まれる。開かないのが袋織。その表面を化学加工でさまざまなデザインを描くと、なかのパイル部分が覗いてきて、これまでは見たこともなかったニューテキスタイルが出現する。
 来年9月ニューヨークにおけるジャパン・テキスタイルデザイン展を準備しているニューヨーク・モダンアートミュージアムのキューレータ、ミセス・マッケイドが山崎を訪ねて驚嘆したことが示すように、この現代ベルベットが世界にかってない新しい表情をたたえているとすれば、そらがわが国のデザイナーの絶えざる創造の源泉になったからといって何の不思議はない。たとえばの一例で菱沼良樹は、山崎の残反をもらって帰り、木村染工の技法に学んで手づくりで加工し、そうして生まれたヨーロッパ風ペザントルックがパリコレクションの喝采を浴び、それによって毎日ファッション大賞の栄誉をかちとったとすれば、われわれがここに見ているのは、グランプリベルベットなのである。


山崎ビロードのベルベットマジック ロマンティック素材最前線(2)

1997.08.21

gap JAPAN 1997 7・8合併号
浪漫が重層するその歴史
 ベルベットというというフランス風の響きではなく、今でもビロード、天鵞絨と呼んでいる人は多いだろう。ポルトガル語のベルドから来たその名は、まさにその名は、南蛮渡来の浪漫を今に伝えているといっていい。ロマンティック素材の筆頭にあげるにふさわしい格式だ。ヨーロッパでは中世から、キリスト教寺院の祭壇用掛布や司教の祭服に使われるという、神聖荘厳の織物だった。
 このうち文様を描き上げる紋ビロードは、14縲鰀16世紀にかけて、ルネッサンスが高揚するイタリア・フィレンツェの名産であり、ベルベットという名も、その生産に力があったベルティー家からきているというから、中世、ルネッサンスと続く浪漫でもあった。
 日本には、16世紀にスペイン、ポルトガルの南蛮船を通じて渡来した。織田信長愛用と伝えられる金糸縁取り、4匹の龍を金糸で刺繍した黒のベルベット陣羽織、米沢の上杉神社に奉納されている、上杉謙信用と伝えられる緋地花唐文様のベルベットマントも、南蛮渡来の天鵞絨を今に伝える証人である。
 日本で織られるようになったのは、17世紀半ばか、あるいはその末期かといわれるが、このように江戸初期から京都西陣で織られた伝統逸品だった。勿論当時のそれは、今のように経緯ポリエステルにレーヨンパイルを機械で織るといったものではなく、経緯、パイルすべてシルクを手織したもので、大衆向けには経緯はコットンを使っても、パイルはシルクだった。平織の他に綾織、繻子織もあり、緯糸に金糸、彩糸を使った「金華山」は高級帯地、装飾布として、天鵞絨の頂点に君臨した。やがてそこから、昭和モダンを演出するベルベットショールが生まれ、浪漫織物の歴史一頁を加えることになった。
 しかし西陣ベルベット300年の歴史に、閉幕の日が訪れる。今もその伝統を守る二代目杣彰二の杣長を除いて、他の業者は機械織に転換してまで、ベルベット生産を継続する意思はなかった。こうして北陸に勃興した織物産地のなかの鯖江、今立が西陣に替わって、日本ベルベットの伝統を継承することになった。
 孤塁を守った杣長は、京都の他にも鯖江にも工場をもって意気軒昴、パフでは独占的な地歩を確保している。白粉を付けるパフはベルベット製だが、白粉がよく付いて、叩けばよく落ちる機能には、織物に独特の工夫がいる。杣長はそこに、他社の追随を許さぬノウハウを築いた。
 さらに杣長が他社を引き離しているのは、輪奈ビロードの装置をもっていることによる。そもそもパイルを立てる立毛織物には、和歌山県高野口を主力にするフェイクファー、静岡県福田を中心とする別珍、コーデュロイと、福井県中心のベルベットがあるが、このうちベルベットとフェイクファーは、二重織物のなかにパイル糸を織り込み、それを2枚に開いて、パイルを表面に浮き立たせる技法で共通している。しかしフェイクファーでは毛皮の風合いを求めるところから、パイルにアクリル中心に紡績糸を使い、その毛羽は太く長い。それに対してベルベットは、かってはシルク、今は主として基布部分の経緯にはポリエステル、パイル部分には、かってはアセテート、今はレーヨンで、シルクの風合いを出すためにいずれもフィラメント糸を使う点で異なっている。
 これに対して別珍、コーデュロイは二重ビームを使わず、コットン主力で1枚の布を織り、その緯糸を刃で切って毛羽立たせる。このようにベルベット、フェイクファーと、別珍、コーデュロイでは、技法が基本的には異なっているのだが、ベルベットも輪奈ビロードになると、別珍、コーデュロイに類似している。
 輪奈織では、基布用とパイル用の経糸を交互に並べ、二越、三越ごとにパイル用の経糸を引き上げ、以前はステンレス線、今はポリエステルの緯糸を挿入する。こうして盛り上がったパイル用経糸を、緯に沿ってナイフでカットし、毛羽立たせる。
 この他に杣長はジャガードの装置も装備しており、松田光弘がその仕事に惚れ込んで、これまでのパイル部分のジャガードに加えて、基布にもジャガードが織れる装置の投資を分担したため、杣長は、経糸のためのビーム4台に160コマの糸を加え、さらにジャガード2台を背負うという、世界最強の重装備を実現してしまった。これに杣長の才能と執念が加わることによって、さすが先達とうならせるベルベットが生まれていったのだが、難点は、余りにも高価になってしまうことと、こういうジャガードも輪奈ビロードぼ重くなり、今の軽量ファッションの流れに適応しにくいということにある。
その点杣長に育てられた山崎ビロードは、重厚で古典的な師匠の名作とは異質の、現代感覚溢れる軽量路線を追求し、大きな成功をおさめた。


山崎ビロードのベルベットマジック ロマンティック素材最前線(1)

1997.08.20

gap JAPAN 1997 7・8合併号
ベルベットロマンで秋を決める
 97縲鰀98年秋冬は、ロマンティシズムの秋草が一斉に花咲き乱れる季節になった。オーガンジー、シフォンなど一切の透け素材は、繊維な花びらのように体を覆い、あるとあらゆるレースがそれに共鳴した。さまざまな刺繍がそれぞれのテクニックを競い、フロッキー加工、発泡加工などの樹脂加工やオパール加工などの装飾技法は、久々に復活した染料プリントに並んで、テキスタイルをキャンパスに見立てて、奔放な図柄を描き上げている。
 しかし消費マーケットは秋まで待たなかった。初夏から盛夏にかけて、ロマンティシズムの数々はすでに街にリゾートに溢れ、早くも秋祭りに入ったかのようだった。こうも早くロマンティシズムが爆発することは、業界にとって嬉しさとともに、秋に行方に一抹の不安を感じさせるものでもあった。
 それでは、秋冬ならではのロマンティック素材とは何か。そこで一斉に注目したのが、秋のベルベットと冬のロマンティックツィードだった。特にベルベットは、遠く南蛮渡来のイメージを今なお潰す、浪漫織物の大定番といっていい。
 歴史が永いだけあって、同じベルベットにもさまざまな表情があるが、コンテンポラリーなデザイン体質で、デザイナーブランドの人気を呼んでいるのは、何といっても福井県今立の山崎ビロードがイチ押しだろう。90年代に入ってからの同社デザインの流のなかに、現代ロマンティシズムの表現を探ってみる。


ベルベットに命をかけて 5

1997.08.05

繊研新聞 1997年
”遊び”と”夢”と


ベルベットに命をかけて 4

1997.08.04

繊研新聞 1997年
きれいから感性豊かへ


ベルベットに命をかけて 3

1997.08.03

繊研新聞 1997年
「8004番」の誕生


ベルベットに命をかけて 2

1997.08.02

繊研新聞 1997年
恩人との出会い


ベルベットに命をかけて 1

1997.08.01

繊研新聞 1997年
疾風怒濤の5年間



最近の投稿

カテゴリー

ブログを検索

アーカイブ