東京テキスタイルデザイン展(福井新聞)

1996.05.26

福井新聞 1996年5月24日
本県から2点入選


こなされ方拡大 ベロア、ベルベット(日本繊維新聞)

1994.12.16

日本繊維新聞 1994年12月16日
95/96年秋冬婦人服素材
”いま”を追う


繊維どころ新模様(朝日新聞)

1993.12.01

朝日新聞 1993年
独自の商品持ち自身


ノスタルジー賛歌・ビロード(4) gap JAPAN

1992.09.18

デザインと技法の相乗
 現在ベルベットは、主としてグランドにポリエステルを使い、パイルにレーヨンを使用するのが大半だが、デザインの幅は、困難な技術にも関わらず、いや、困難であればあるほどといっていいのかもしれないが、なかなかに多様である。その極限が、ニコル、杣長提携のグランド・ジャガード、パイル・ジャガードになるのだが、いずれにせよ先染糸をドビーやジャガードに掛けるのは、高級品にしばられ、大半は白糸を使って織り、後で2浴染め、3浴染めで、デザインを浮き上がらせていく。
 このなかには、プリント図案とオパール加工とを同時に行い、透明なグランドの上に、パイルデザインを浮き立たせる手法がある。さらにグランドのポリエステルにアセテートを合撚し、レーヨンパイルにアセテートの柄が呼応して、より複雑なデザインを作るといった手法も使われている。
 難点は、フォーマルニーズが高いところから、ともすればデザインが水っぽい方向に偏り勝ちになり、しかも花柄などの図案が、有り合わせではないかと思われるようなものが散見されることだが、その点山崎の仕事には、デザイナーの注文が多いせいか、シンプルなモダンがシャープに表現されているものが見受けられるのが、好感される。量の多募を問わず、現代感覚をもつデザイナーの発注が増えることは、産地の感性を高め、織物アイデアの前進を促す点で、重要といわなければなるまい。


ノスタルジー賛歌・ビロード(3) gap JAPAN

1992.09.17

gapJAPAN 1992年9月号
TEXTILE CREATION
デザイン多様化への跳躍台
 戦後ファッション・ベルベットの歴史のなかで、’70年代初頭が重要な一転機になる。昭和46、7年、マーケットがミニスカートを持続するか、ロングに転換するかという難問を抱えながらヨーロッパを訪問した堀留の生地問屋セルマーの副社長永森達昌は、ロンドンのキングロードに溢れるロングスタイルに感銘を受け、ベルベットのロングドレスに賭けようと決心した。こうしてセルマーは旭化成と組んで、ベルベットに社運を託したのだが、西出はここから深くベルベットに関わるようになる。先発の揚原は、年間3千万の在庫を抱えることになるだろうと警告していたというが、それはベルベットの難しさを知っていればこその老婆心だったろう。しかしこのセルマーの挑戦は、大方の予想に反して爆発的な売上げを実現し、初年度から利益を計上した。
 セルマーのねらいは、ベルベットをタウンウェア素材として育てることにあった。ベルベットは呉服分野から立ち上がって資材分野で育ち、次第にファッションに入り込んでいったが、昔も今もフォーマルニーズが強い。しかしファッションが開花するなかに、このロマンティックな素材が、タウンに進出するチャンスが生まれるというセルマーの読みは、図星だったのである。つれてベルベットデザインは、これまでになかったような多様性を持つようになった。


ノスタルジー賛歌・ビロード(2) gap JAPAN

1992.09.16

gapJAPAN 1992年9月号
TEXTILE CREATION
シャンブレー・ベルベットの逸話
 
 何といっても揚原の存在感は大きい。降雪による交通難を解決するために町に寄付した揚原トンネルは、愛郷と成功の証しだろう。豪雪には社員が雪掻きの奉仕をしているとも聞いた。
 工場は、社外の立入りを厳禁している。世界のトップランキングをめざして、旭化成のバックアップのもとに推進された開発のなかで、この工場には、自社製作による装置が充満しているらしい。もとより仕上げまで一貫生産である。先染糸を巻いた表とそこの部分を捨て、もっとも純良に染色された部分だけを使っていると聞いた。捨てた糸を買って廉価な商品を作った業者もあったとか。このようにして磨き抜かれた先染無地のベルベットは、日本ベルベットの王者の格式を持つ。これに対して、山崎ビロードのシャンブレーに注目したい。妖しく玉虫に光るこのビロードは、ビロード美学の再発見といってよく、さらにそれを故意に荒らして、アンティークの味を出して見せたところなど、まさに東京ファッションの逸品の一つなのだが、これには逸話がある。
 ある日、福井ベルベットの推進力になっている福井の産元問屋、西出商事に、岐阜の織物研究舎を主宰する松下弘から電話がかかってきた。織研は知る人ぞ知る、川久保玲が共同出資する、コムデ素材の専属開発部門である。シャンブレーのベルベットを作りたいから、手配して欲しいという。それはいいのだが、毛足を1ミリ以下にという注文にたじろいだ。なるほど毛足が長いとシャンブレー効果は生まれない。しかしそこまで短くした時、表面に傷ができ、パイルが不揃いになる危険は十分に考えられる。それでもいいという。そこで西出商事は、松下を山崎ビロードに案内した。
 山崎昌二は、杣長の指導を受けてここまできた。彼なら間違いないと西出は考えたのだろう。松下が説明している間に、山崎夫人は奥の工場へいってサンプルを作り、これでいいのかと尋ねた。
 ほどなく松下が帰ろうと言い出した。商談は不調に終わるのかと思って、西出の社員が、工場は見ないでいいのかと尋ねたら、松下は、見る必要はない、この夫婦に任せれば大丈夫だと、答えたという。頼みもしないのに、その場でサンプルを試作する夫人の姿勢に、夫婦でベルベットに打ち込む山崎の熱意と能力を、松下は感じとったのだろう。まもなくその素材はコムデのショーに登場して、世界の喝采を浴びる。プロ同士の仕事とはそういうものか。

 


ノスタルジー賛歌・ビロード( gapJAPAN )

1992.09.15

gapJAPAN 1992年9月号
TEXTILE CREATION
静かな山裾のベルベット
 福井から京都に向かって南下すると、まもなくコシヒカリの田圃の向こうのなだらかな山裾に、静かな村が広がっているのに出逢う。今立町(現 越前市)である。その部落である国中なは、各戸が交賛で80年に一度、部落全員にごぼう鍋振る舞う「ごぼう講」という風習が遺っているというような、中世、いや古代の面影すら偲ばれる一帯である。そこが千年の伝統をもつ越前和紙の産地であり、横山大観が紙を吟味しながら、写生したなどの話は、いかにもその風景に似つかわしのだが、この今立には三つ日本一があり、それは細幅織物と羽二重とビロードだと聞かされると、どこに機音がするのかと、耳を疑ってしまう。聞こえてくるのは、田をよぎる風だけのように思われるのだ。
 隣の鯖江は、眼鏡枠の大産地であり、三宅一生が愛してやまないアンパン
を売る木村屋があるなどの余談もあるのだが、今立を中心に鯖江を加え、日本の衣料用ベルベットの9割を生産している。
 京都からこの土地にベルベット生産が移植されたのは、戦後まもなくのころ。羽二重だと最低8台の織機が必要だが、ベルベットなら4台で喰っていけるという、単純で深刻な理由によるものだった。先駆者は揚原新十郎と長谷川幸助。大手の揚原と長谷川繊維工業の創業者だが、当初は2、3台の規模。京都杣長の指導を受けながら成長し、現在福井全体で600台になっていよう。イスラム教徒が礼拝に使う敷布を中近東に輸出して、一気に業界の基礎を固めた。


時代の空気に合せ素材転換(日本繊維新聞)

1992.01.03

日本繊維新聞 1992年1月3日
不規則な玉虫色の光放つベルベット


新素材スカーフ発売(福井新聞)

1990.11.02

福井新聞 1990年11月2日



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