ノスタルジー賛歌・ビロード(2) gap JAPAN

1992.09.16

gapJAPAN 1992年9月号
TEXTILE CREATION
シャンブレー・ベルベットの逸話
 
 何といっても揚原の存在感は大きい。降雪による交通難を解決するために町に寄付した揚原トンネルは、愛郷と成功の証しだろう。豪雪には社員が雪掻きの奉仕をしているとも聞いた。
 工場は、社外の立入りを厳禁している。世界のトップランキングをめざして、旭化成のバックアップのもとに推進された開発のなかで、この工場には、自社製作による装置が充満しているらしい。もとより仕上げまで一貫生産である。先染糸を巻いた表とそこの部分を捨て、もっとも純良に染色された部分だけを使っていると聞いた。捨てた糸を買って廉価な商品を作った業者もあったとか。このようにして磨き抜かれた先染無地のベルベットは、日本ベルベットの王者の格式を持つ。これに対して、山崎ビロードのシャンブレーに注目したい。妖しく玉虫に光るこのビロードは、ビロード美学の再発見といってよく、さらにそれを故意に荒らして、アンティークの味を出して見せたところなど、まさに東京ファッションの逸品の一つなのだが、これには逸話がある。
 ある日、福井ベルベットの推進力になっている福井の産元問屋、西出商事に、岐阜の織物研究舎を主宰する松下弘から電話がかかってきた。織研は知る人ぞ知る、川久保玲が共同出資する、コムデ素材の専属開発部門である。シャンブレーのベルベットを作りたいから、手配して欲しいという。それはいいのだが、毛足を1ミリ以下にという注文にたじろいだ。なるほど毛足が長いとシャンブレー効果は生まれない。しかしそこまで短くした時、表面に傷ができ、パイルが不揃いになる危険は十分に考えられる。それでもいいという。そこで西出商事は、松下を山崎ビロードに案内した。
 山崎昌二は、杣長の指導を受けてここまできた。彼なら間違いないと西出は考えたのだろう。松下が説明している間に、山崎夫人は奥の工場へいってサンプルを作り、これでいいのかと尋ねた。
 ほどなく松下が帰ろうと言い出した。商談は不調に終わるのかと思って、西出の社員が、工場は見ないでいいのかと尋ねたら、松下は、見る必要はない、この夫婦に任せれば大丈夫だと、答えたという。頼みもしないのに、その場でサンプルを試作する夫人の姿勢に、夫婦でベルベットに打ち込む山崎の熱意と能力を、松下は感じとったのだろう。まもなくその素材はコムデのショーに登場して、世界の喝采を浴びる。プロ同士の仕事とはそういうものか。

 



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